嫉妬について

二年前ぼくの知っていた女子学生のお話から始めましょう。そのT子さんはそう美人とはいえないのですが、自分の個性を生かしお化粧や服装をして毎週、ぼくの教室にはいってくる少しフラッパーなお嬢さんです。
魅力ある話し方も知っていますし、パーティなどではダンスなどもなかなか上手なのです。
そんなお嬢さんですから、男子学生などにも人気があり、何時も二、三人のボーィ・フレンドに取り囲まれているようでした。そのボーィ・フレンドの中でも村松君と谷君とが特に彼女に熱中しているのは、教師のぼくにもよくわかりました。
村松君はどちらかというと長身で、ちょっと神経質なジェームス・ディーンに似た青年であり、一方、谷君は背はそれほど高くはありませんが、いわゆるガッシリとした逞しい体を学生服に包んでいる青年です。
ぼくがT子さんの人気を時々、からかいますと、彼女は「先生、あたしたちみんなグループなんですよ!」とちょっとムクれてみせるのも可愛いものでした。
実際、T子さんにとっては少し憂鬱そうに音楽や絵の話をする村松君と時間を過ごすのもキライではないようでしたし、また逞しい谷君の操るヨットで大いに青春を楽しむのも嬉しいことだったに違いありません。
ぼくは時々、この三人を交えた学生たちと一緒にお茶を飲んだり、時にはパーティに誘われることもありました。
そんな時T嬢と村松君、谷君を少し観察していますと如何にも表面はたのしいグループのようでありながら、T嬢が二人の間にはさまって戸惑っているのも感ぜられました。
戸惑っているとは申しましたが、T嬢にも多少の責任がなかったとは言えません。時々、彼女は二人のどちらかを特にいらだたせるような軽い振る舞いをして、たのしんでいるような点もみうけられます。
(うまくことが運べばいいが)
とぼくは三人の各々が友情を傷つけるようなことが起こらねばいいがと秘かに望んでいたのです。
恋愛は時間をわすれさせる
春休みが終わった一昨々年の四月のことでした。久しぶりの新学期の教室に村松君の姿がみえません。病気でもしたんだろうかと彼の親しい学友に聞いてみますと、
「先生、村松は今、故郷に帰っているんです。
T嬢が谷君と婚約したので、奴、すっかりショげちゃって」と言うのです。ぼくは村松君のくるしさを思い、彼に出来るならば「恋愛は時間をわすれさせるが時間は恋愛のくるしさをわすれさせる」という諺を伝えてやってほしいと頼んだのでした。
それにしても、T嬢はどういう理由で村松君ではなく谷君を選んだのでしょう。
それは、あとになってわかったのですが、T嬢と谷君とは、その後一年ちかい恋愛をした挙句、どうしても性格があわず、婚約を破棄したそうでした。
去年の六月でした。霧雨にぬれた新宿の歩道で、ぼくは久しぶりにT嬢に会いました。二年前、あんなに元気の良かった彼女でしたのに、今はどことなく疲労の影がその表情に滲んでいました。
「卒業してどうしているの」とぼくは訊ねました。
「日本橋の貿易会社に勤めています。つまんないですわ」
彼女を誘ってぼくは小さな喫茶店にはいりました。窓の外を傘を斜めにさした人々の影が流れてきます。彼女はストローを指でつぶしながら、「先生、私、聞いていただきたいことがありますの。
私、谷さんと婚約して駄目でした」
「うん、それなら知っているけれど」
「村松さんにもすまないと思っているんです」
「でも、そりゃ、仕方がないさ。君が谷君の方を好きになったんだから」
「それが始めから間違っていたんです。先生」
T嬢はあの頃、谷君も村松君も同じようにキライではなかったのでした。男の子たちから好かれることは結局、若い娘にとって悪い気持ちのしないものです。
彼女はまだ、その時、結婚だの婚約だのということをそれほどハッキリとはこの二人を相手に考えていませんでした。
だが、ある日、妙な事件が起こったのです。その日、彼女は村松君から、音楽会に誘われたのです。何時もなら喜んで行く音楽会でしたが、彼女はその日、用事があったので断ったのでした。村松君はひどく失望したような顔して去っていきました。
用事が案外早くすんだのと、断った時の彼の寂しそうな顔が気になったので、彼女は一人でその音楽会のホールにタクシーを走らせ、ホールで彼の姿を見つけようとしました。
「村松さん。あたし、やっぱり来ましたのよ」
「そうか。そりゃ、良かった」
そういう会話や彼の悦ぶ表情を連想しながらT嬢は休憩時間の廊下で村松君を探しました。
ところが――村松君は音楽堂のベランダで如何にも親しそうに同じクラスのM嬢と話をしていたのです。
T嬢とM嬢とはクラスでも虫が好かないと言いますか、表面的には親しそうな口をききあっても、心の中では互いに競争しあっている間柄でした。
怒りとも恨みともつかぬものがカッと彼女の体をかけめぐりました。相手がこともあろうにM嬢だっただけに、そして自分が村松君の悦ぶ顔を期待していただけに、幻滅と侮辱感とが彼女を痛くいほど傷つけました。
(いいわ。どんな女の方とでも行けるような音楽会だったのら、あたしを初めから誘わなければいいんだわ。)
出発点が間違って
彼女は唇をかみしめると、裏切られたような気持になってホールから出て行ったのでする
「翌日から、あたし」とT嬢はまるで他人のことでも話すように、しゃべりました。
「谷さんの方が急に好きになったんです」
「好きになったというよりは」ぼくは少し憂鬱な声で答えました。
「村松君をイジめるために、M嬢に負けないために谷君に傾いたんだろう」
「そうハッキリおっしゃらないで。」でも本当はそうだったんです。しかし、その時は自分の気持ちを冷静に考えたりする余裕はありませんでしたわ。
カアッとなって、谷さんとばっかり交際(つき)あい、そして自分ははじめから彼が好きだったんだと思い込もうとしました。そして何時の間にか・・・・」
「何時の間にか、それが本当になったんだね。そして婚約までしてしまった」
「あたしは谷さんをそのためにハッキリ観察することができなかったのですね。出発点が間違っていました。
気が付いたときは自分と谷さんとの性格の違いや、そのほかのズレがわかった時でした」
嫉妬と愛情とをとり違えた
T嬢は話し終えると、赤い帽子をかぶり、これも赤いレインコートの襟をたてて雨にぬれた顔をあげ、ぼくに「さよなら、先生」と言いました。「さようなら」とぼくも低く答えました。
T嬢のこの話をきかれて皆さまはどう思いでしょうか。おそらく皆さまの中には彼女の少し軽はずみな性格や、自尊心の強すぎる態度に眉をひそめる方も沢山いらっしゃることを存じます。
しかし、雨の中を疲れたように人群れに消えていった彼女はたしかに傷手を負った娘でした。
彼女の失敗は嫉妬と愛情とをとり違えたことにあるのでするこう書いてしまえば皆さまは何だ、つまらない。そんな区別さえできないのは彼女が愚かだったからだと思いになるかもしれません。
だが、実際には、このT嬢と同じような例は少なからずあるのです。
T嬢の場合は嫉妬というより村松君に自尊心を傷つけられたその復讐? のために谷君の所に走ったのですが、これとは逆に、嫉妬のためにその男性への執着が急激に燃えあがるという心理はよくあるのです。
劣等感から起こる
それほどキライでなかった青年を別の女性が愛しだしたのを知ってから、急に彼のことが気にかかりはじめたという娘さんもいます。
嫉妬というものはもともと、劣等感から起こるものですが、恋愛の場合はむしろ侮辱感や自尊心をひどく踏みにじられた苦痛感から生じるのです。この苦痛が烈しければ烈しいほど、彼に対する執着はふかまるのです。
今まで、それほど愛着を感じなかった品物でも、だれかが持って行ってごらんなさい。急にその品物が大事な、かけがえのなかったもののように思われることがあるでしょう。
ましてそれが自分が愛してくれた男性であるならば(たとえ。自分がそれほど愛していなくても、キライでない限り)苦痛と寂しさとを味わうのが女心というものです。
ここに危険な罠があります。嫉妬から急激な執着へ――そしてこの本能的な執着感を情熱や愛情ととり違えるのはぼく等が往々にして陥りやすい錯覚なのです。
嫉妬というのは一種の熱病です。たとえば嫉妬にかられた人をごらんなさい。その人にとっては全ての物がその嫉妬の理由になるのです。
嫉妬ぶかい妻には、彼女の夫が朝顔を洗い、カミソリを使うことさえ苦しいのだそうです。
「彼は、自分ではない別の女を悦ばすために、あんなにお洒落をしている」とその妻は考えてしまうのです。
かれが会社に出かけている間も、その妻は今、会社に他の女から電話がかかってきていないかと考える。社用で旅行していると聞いても、その旅行さえ疑わしくなる。
こういう嫉妬の気持ちを皆さまは極端だと思いになるかもしれません。しかし、嫉妬とは人間をそこまで極端に非理性的にしてしまう暗い衝動なのであり、時には怖しい破局にまでみちびく病気なのです。
愛するということはまず相手を知ろうとする意志だと言われています。そうした明澄な意志を狂わせ、その眼を昏ませて、錯覚を生むのが嫉妬なのであります。
嫉妬や恥辱感や自尊心を傷つけられた苦しさから、愛の路をふみちがえる危険をこのT嬢の話から考えて下さい。
つづく
情熱と愛とのちがい